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小周天法


 「煉精化キ」

「小周天」の巻に入ります。正確には「煉精化キ」(キは気)といいます。中国は漢字の国「煉精化キ」という言葉の中に、何をどういう風に行うかということがちゃんと書かれています。たとえば「紅焼魚翅」といえば「フカヒレの姿煮」ですが、これは「魚翅」(フカヒレ)を「紅焼」(煮込み)したもの。それと同じで「煉精化キ」というのは「精」を煉って、「キ」を作る。「キ」(キ)と言うのは「気」と「精」で作られた一種の体内分泌物のようなもの。「小薬」といわれるものとほぼ同様で液体と気体の中間的な状態ではないかと思われますが、直接眼に触れることはありません。これをどうやって作るかということが、この「煉精化キ」の行法の眼目です。前にも触れましたが「仙道内丹法」というのは「外丹法」と関りを持っています。今日ではその関わりが何であったのか、なかなか見えてきませんが、「内丹法」の行法は形式的には「外丹法」の手法をなぞっています。そこで「外丹法」について書く必要があります。 「外丹法」は中国古代―ことに春秋戦国時代に大変流行した思想で「不老不死」の「丹薬」を作る方法です。この「丹薬」を飲めば超人的な力がつき、不老長寿が得られるというものでした。主として鉱物―錫や水銀、鉛、朱砂などを火にかけ高い熱で溶解させて「丸薬」を作る。これを呑めば超人的な力がつき、仙人になると信じられたのです。この「外丹法」の考え方は多分アラビア経由で中世ヨーロッパに渡り「錬金術」となり、「賢者の石」を生み出す方法となったのです。「仙道外丹法」がなければハリーポッター物語もなかったかも?その「仙道外丹法」ですが、ご承知のように中国・戦国春秋時代―隋―唐と受け継がれていきました。その「術」を継承したのが当時の道士たちです。彼らの一部は時の権力者に取り入るために、この「術」を使い、他にも様々な符呪を使いました。隋の始皇帝は彼らを重用し各地に仙薬を求めさせました。その道士のひとり、徐福などあまりに大風呂敷を広げ始皇帝に莫大な資金を出させた挙句、何も見つからなくて故国に帰るに帰れず、日本まで来て住みついた。これが日本の「鈴木氏」の最初ではないかと僕が勝手に考えています。それはともかく「仙道外丹法」は、プロモーターである道士達によって唐の時代にも盛んになり皇帝は何代にも渡って道士の「丹薬」を飲んでいたのでした。その結果「水銀中毒」「砒素中毒」のような症状で皇帝たちは相次いで亡くなりました。さすがの道士たちの世界でも不老不死どころか「外丹法は危ない」という考えが出始めました。そこから始まったのが「内丹法」の研究でした。もともと老子の昔からあった「胎息法」をベースに「外丹法」の手法で「内丹」を作ろうとしたのです。自然界の鉱物を使う代わりに、体の中の「精」「気」「神」を使って「内丹」を練り上げることにしたのです。こちらはそれほど危険性はないし、健康にもいい。やってみれば、予想外の効果も得られ、場合によれば不老不死にも?ということで研究が進んでいき、唐―宋―清と受け継がれ完成されてきました。 「仙道内丹法」における「外丹法」の名残は、そのシステムの考え方です。外丹法では最初、各種鉱物を鼎(かなえ)で煮ます。「外丹」を作るには「煉丹炉」というのがあって、火をおこす「炉」、鉱物を煮る「なべ」、そして祭器としての「かまど」のような「鼎」。この三つが一体となったのが「煉丹炉」ですが、これを「内丹法」にも受け継いだのです。人間の身体自体を「煉丹炉」に見立てたのです。そうすると「鼎」(容器・なべ)は「泥丸」(頭)であり、火を起こす「炉」(熱源)は下丹田です。そして「外丹法」では水銀などの鉱物を使いましたが「内丹法」では「精」「気」「神」という三つの「薬物」を使います。この「精」「気」「神」という三つの「薬物」を「鼎」(容器・なべ)に入れ、「炉」で煮て、練り合わせ「炁」という新しい物質(丹)を作るのがこの「煉精化キ」の行法です。まず「気」を督脈に沿って上昇させ「泥丸」(頭)に至らせ、さらに任脈に沿って下降して下丹田(炉)に至らせ、そこで凝結させます。これが「小周天」です。この行法はいわば「火の行法」。「火」というのは「神」(意識―人の意念)の運用によってもたらされる「熱」のこと。その「火加減」のことを「火候」といいますが、精・気・神を体内で運行させる際の意念の用い方のことです。丹を煉る時には、呼吸によって「ふいご」のように「火」を起こし、意識をかけることで体内に「熱」が生じます。仙道ではその「火加減」が非常に重要で、「秘訣」となっています。口では表現しにくい部分が多いからです。

 「内気」

「内丹法」が「外丹法」の技法を踏襲しているということを申し上げました。そのため自分の肉体をひとつの「丹」製造機「煉丹炉」に見立てて修練していくわけです。「煉丹炉」の「鼎」(容器・なべ)の部分は「泥丸」(頭)。火を起こす「炉」(熱源)は下丹田。水銀など鉱物原料は「精」「気」「神」という三つの「薬物」。この三つの「薬物」を「鼎」(容器・なべ)に入れ、「炉」で煮て、練り合わせ「キ」という新しい物質(丹)を作るのがこの「煉精化キ」の行法。丹を煉る時は、呼吸によって「ふいご」のように「火」を起こし、意識をかけることで体内に「熱」を生じさせます。これが「小周天」のはじまりでした。 この段階の修練の内容はまず「気」エネルギーの蓄積からはじまります。練習を通して「内気」が発生し、その流れがはっきりわかるようになってきますが、この現象は「得薬」と呼ばれます。この「内気」をさらに練って、より高いレベルの生命エネルギーの結晶体を作ります。これが「丹」です。仙道では「内気」は身体や心を動かしている生命活動の素になっていると考えています。その多少によって生命力の強さは決まるといわれているのです。この「内気」はやがて「丹」となって結晶させるものですから、出来るだけ体内から出さないことが必要です。社会生活をやっていると、どうしてもこの「内気」を外へ散乱させる事態となります。気がいらだったり、気にかかったり、気を張り詰めたり、気がくさくさするーーなどと表現されるように「内気」を外に散乱させるケースが目立ちます。この第二段階ではまず「内気」を外へ出さないように、世間の出来事や自己の欲望追求のために「内気」を使わないようにすることが必要です。第一段階の「築基」の段階で「心」の平静を保つ重要性を説きましたが、これは精神を不安定にして、この「内気」をむやみやたらと放出しないために必要な基盤だったのです。 仙道では身体の中にある「内気」「元気」「元精」の関係について次のように考えています。もともと「元精」は形も質もなく、先天の機能に属しています。本来は「元気」と同じもの。この2つは互いに転化し、動くと「元精」になり、静まると「元気」になる。人間は父と母から「元気」を受け継ぎ、生まれた後はそれを「キ」穴(下丹田)に収めています。成長して16歳になると、丹田の「元気」は自然に動き始め、暖信[暖かい感覚]が陽関に至れば、生殖器は自然に勃起します。もし修練することがなければ、神は情に変わり、「元精」は物質化され淫の精に変化して「熟路」を経て排泄されます。これが人間の生殖活動となるわけで「種」の保存のためには必要なことではあります。通常は「順は人を生む」のですが、仙道修行では「逆に仙に成る」ために、この「元精」を引き止め、「精」を煉って「キ」に変え、小周天の功法を行い「精」を戻し脳を補うのです。つまり人間の自然の「逆」を行って「元精」を掘り起こし、「元気」を体内に蓄積させるのが仙道の修行 であるわけです。

 12)「小周天法」

 「内気」を発生させ、それを蓄えるということが最初の段階ではことに大切であるということです。仙道では「蓄気満相」という言葉を よく使いますが、気が内部に発生したら肛門を閉め、口での呼吸をやめて、内気を外に出さないという動作をするわけです。太極拳の準備体操のような「八段錦」では常にこの動作をします。仙道の準備体操には服気法、通関法などありますが、それらの中に必ずこの動作が出てきます。「蓄気」というのは文字通り、気を内に蓄えることですが、それには肛門を締め、口鼻での呼吸をやめて「ふんばり」ます。初めは苦しいのですが仙道になれてくれば1分さらに2-3分へと伸ばしていきます。こうして胸中の気を下腹へ移し、下腹から胸へと還します。この上下運動を数回行います。この方法は慣れてくると三分前後の蓄気ができるようになります。毎日怠りなくやっていると「三分間蓄気」はひとつの習慣になります。「蓄気」は初期の段階で必要なばかりでなく、行が進んで「胎息」になればもっと長い時間蓄気することになりますから、仙道の決してメインの行ではありませんが、身につけておいた方がいい行のひとつです。 ところで「内気」が多く発生しても、それを周流させるルートが充分に開通していないと身体の不調を招きます。太極拳を30年もやっている人でも慢性的な腰痛に悩んでいる人が結構います。私はこれは太極拳で発生した「内気」が逃げ場がなくて腰に集まった結果起こる現象ではないかと思っています。同時に「督脈」「任脈」を開通させて、かなりの量発生した「内気」がちゃんと周流できるルートを開発するべきなのです。これは太極拳は、いまでいう仙道から発生したものですが(張三ボウ仙人が武当山で始めたとされています)、いまの太極拳は「仙道」とは関りなく、一種の健康体操として普及してきているからです。「仙道」の一部として行えば、当然小周天法をやるときに「督脈」「任脈」の開通をまずやるわけです。そうすると「発生した内気」をスムーズに導くことができ健康にも大きな成果があるはずです。私なども年に何回かは理由のない「不調」に陥ることがあります。余談ですがいま私は「坐忘」をやっていますが、土日と太極拳を2回やったりすると、どうもあちこちパンパンになる。よく考えてみると、これは「坐忘」しかやらないで、しばらく小周天法や大周天法をやっていないからです。いつまでたっても小周天法や大周天法は基本ですね。 さて、この「第二段階」は「小周天法」を行じる過程ですが、「小周天法」の目的は「督脈」「任脈」という二本の主流奇経を開通させること。すでに述べましたように「奇経八脈」のうち督脈、任脈は重要な役割を果たしていますが、一般の人達はついにこの存在に気付くことなく一生を終わります。鍼灸のような「正統中医」と考えられる世界でも対象は「正経」といわれる夥しい数のツボです。「奇経」についてはほとんど考慮されない。しかしながら「正経」が正常にさまざまな慢性的な病気が始まるのは、カゲの存在である「奇経八脈」が疎外され、無視されていることによります。ところが実際は「奇経八脈」が「正経」をコントロールする存在であって決してカゲのまま終わる存在ではないのです。だから多くの人にとって「病気はいつか来るものであり、避けがたきもの」との考えがぬけないのです。本来は「正経」をコントロールする「奇経八脈」に着目し、それの開通を行い、そこに「内気」を周流させていけば、人間を「未病」の状態に保つことができると思います。中医の専門家であっても「正経」治療を続ける限り、それは現象に対する対処法でしかない。根本からの治癒をめざし、「未病」の状態を保つには「奇経八脈」なかでも督脈、任脈の開通と気の周流を欠かすことはできません。そこに「仙道」のよる「小周天法」の重要さもあります。仙道は「性命双修」。からだを作り精神を練ることですが、その第一歩が「小周天法」です。
by youjyo | 2006-01-23 06:45
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